Share
「その千円札じゃなくて、こっちのにして」レジの中へ手を伸ばした客。だが、店長が静かに止めた一言

名前を聞けないまま流れた注文
大学生のころ、駅前の総菜店でアルバイトをしていました。
揚げ物は注文を受けてから作るため、お名前を伺い、出来上がったらお呼びする決まりでした。
夜の混み始めた時間、一人の男性のお客さまがカウンターへ来ました。
「唐揚げ、大きいほう一つね」
「ありがとうございます。お名前だけ伺ってもよろしいですか?」
ところが、男性は返事をしないまま売り場の奥へ歩いていってしまいました。
「あ、お客さま……」
呼び止めかけましたが、すぐ後ろには次のお客さまが待っています。追いかけるわけにもいかず、私は伝票にカウンターの番号だけを書いて厨房へ回しました。
何人かのお会計を終えたころ、先ほどの男性が戻ってきました。
「ねえ、さっきの唐揚げ、まだ?」
「申し訳ありません。今、揚げておりますので、もう少々お待ちいただけますか」
「まだなの?もう結構待ってるんだけど」
男性は明らかにいら立っていました。
「すみません。出来上がりましたら、こちらからお声がけします」
そう答えながらも、私は緊張していました。名前を聞けなかったことを今さら説明したら、さらに怒らせてしまう気がしたのです。
レジへ伸びてきた手
少しして唐揚げが出来上がり、男性のお会計をすることになりました。
五千円札をお預かりし、私はレジからお釣りを取り出しました。
すると男性が、私の手元を見て顔をしかめます。
「あ、その千円札、ちょっとしわになってるな」
「あ、失礼しました」
別の札に替えようとした、そのときでした。
「そっちのきれいなのあるだろ。こっち、こっち」
男性の手が、開いたままのレジへ伸びてきたのです。
「あ…すみません、そこは…」
とっさに声が小さくなりました。
その瞬間、横から店長が一歩前に出ました。男性の腕をつかむことも、大声を出すこともありません。ただ、私とレジの間に自然に入ったのです。
「すみません。レジの中にはお手を入れないようお願いします」
男性の手が止まりました。
「いや、取るつもりじゃないよ。これにしてって言っただけ」
少しムッとした声でした。
店長は表情を変えません。
「はい、分かっています。こちらで交換しますので、少々お待ちください」
責めるような口調ではなく、本当にそれだけでした。
男性も「……じゃあ、それで」と小さく答え、手を引きました。
店長がきれいな千円札を選び直して渡すと、男性はお釣りと唐揚げの袋を受け取り、そのまま店を出ていきました。
私はしばらく手が震えていました。
店を閉めたあと、店長が事務所で声をかけてくれました。
「さっき、怖かったでしょう」
「……はい。どう言えばいいのか、分からなくなってしまって」
そう答えると、店長は少しだけうなずきました。
「ああいうときは、自分で何とかしなくていいから。困ったらすぐ呼んで」
「でも、私がちゃんと名前を聞けていなくて……」
「それと、レジに手を入れていいかどうかは別の話だから」
その言葉を聞いて、ようやく肩の力が抜けました。
あの夜から、困ったお客さまを前にしたとき、「自分一人で何とかしなければ」と思い込むことは少なくなりました。
今でも覚えているのは、レジへ伸びてきた手よりも、「困ったらすぐ呼んで」と言ってくれた店長の声です。
※本記事は、GLAMが独自に実施したアンケートで寄せられた30代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。
ほかの小説も読む
CHARACTERS
登場人物から探す
THEME
テーマ・シチュエーションから探す
ENDING
結末から探す
最も人気の短編小説
もっと見る >スカッとする短編小説
もっと見る >モヤモヤ短編小説
もっと見る >ゾッとする短編小説
もっと見る >LINEの短編小説
もっと見る >実体験をもとにした短編小説
もっと見る >恋愛トラブル
もっと見る >ハラスメント
もっと見る >金銭トラブル
もっと見る >浮気・不倫
もっと見る >迷惑
もっと見る >仕事のトラブル
もっと見る >非常識
もっと見る >LINE誤爆
もっと見る >思わず気持ちが晴れた「スカッと」
思い出しても背筋が凍る「ゾッと」
その感情を、物語にしませんか。
GLAMでは、あなたのリアルな体験エピソードを
お待ちしています。

GLAM Lifestyle Editorial
編集部
日々の暮らしや選択を通して生まれる気持ちの変化に目を向け、人生を自分らしく整えていくヒントを届ける編集部チームです。仕事や人間関係、暮らしの質、価値観の揺らぎ。さまざまなテーマを横断しながら、今の自分にとって心地よい選択とは何かを考え、無理のない距離感で情報を発信しています。ときには短編小説の力も借りながら、日常にそっと寄り添い、気持ちを軽くするようなライフスタイルコンテンツをお届けします。
Feature
特集記事


