Share
「30分以上、同じ話が続いています」客からの長電話。だが、私が電話を切ることで出来なかったワケ

受話器の向こうの声は、ずっと弾んでいた
レジャー施設の事務をしている私にとって、電話の対応は日常の仕事のひとつだ。その日も受話器を取ると、年配とおぼしき女性の、ゆっくりとした声が聞こえてきた。
「あの、そちらの施設のことで、お聞きしたいことがありまして」
問い合わせだと思い、私はメモ用紙を引き寄せた。ところが女性の話は、なかなか本題にたどり着かなかった。
「この前ね、家族で行かせてもらったんですよ。それがもう、本当に楽しくて」
クレームではなかった。むしろその逆だ。
売店で買ったものがおいしかったこと、係の人が親切だったこと、家族みんなが笑っていたこと。声は終始うれしそうで、ときどき小さな笑い声が混じった。悪い気はしない。この人はたしかに、私たちの施設で良い時間を過ごしたのだ。
「係の方がね、みなさん親切で。それがうれしくてねえ」
ただ、私の手元では別のことが起きていた。画面には締め切りの近い書類が開きっぱなしで、机の端の未処理の紙束は、朝より確実に高くなっている。
受話器を肩と耳ではさんだまま、私はキーボードに手を伸ばしては、また引っ込めた。メールの通知が画面の隅で増えていくのが、視界の端に映っている。
切りたいのに、切る理由がなかった
話は、いつのまにか一周して戻ってきていた。売店の話、係の人の話、家族の話。同じ順番で、同じ言葉で、また最初から始まる。
「それでね、あのときに食べたものが、また格別で」
相づちを打ちながら、私は保留ボタンを何度も見た。押せない。押す理由がない。この人は怒っているわけでも、困っているわけでもない。ただ、楽しかったことを誰かに聞いてほしいだけなのだ。
通りかかった同僚と目が合った。私は受話器を手で覆い、小声で伝えた。
「30分以上、同じ話が続いています」
同僚は困ったように眉を下げ、それでも何も言わずに自分の席へ戻っていった。誰も悪くない電話は、誰にも代わってもらえない。切る口実を探している自分のほうが、なんだか薄情に思えてくる。
「ごめんなさいね、長々と。聞いてくださって、ありがとう」
女性のほうからそう言ってくれるまで、私は受話器を置けなかった。最後の言葉は、最初と同じくらい弾んでいた。
受話器を置き、私は積み上がった紙束に向き直った。残業は確定だ。ため息をつきながら、自分の相づちがいつから上の空になっていたのだろうと考える。仕事を優先して、もっと早く切るべきだったのか。それとも、あのまま最後まで聞いていて正解だったのか。あの弾んだ声を思い出すたび、答えは今も出ないままだ。
※本記事は、GLAMが独自に実施したアンケートで寄せられた40代女性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。
ほかの小説も読む
CHARACTERS
登場人物から探す
THEME
テーマ・シチュエーションから探す
ENDING
結末から探す
最も人気の短編小説
もっと見る >スカッとする短編小説
もっと見る >モヤモヤ短編小説
もっと見る >ゾッとする短編小説
もっと見る >LINEの短編小説
もっと見る >実体験をもとにした短編小説
もっと見る >恋愛トラブル
もっと見る >ハラスメント
もっと見る >金銭トラブル
もっと見る >浮気・不倫
もっと見る >迷惑
もっと見る >仕事のトラブル
もっと見る >非常識
もっと見る >LINE誤爆
もっと見る >思わず気持ちが晴れた「スカッと」
思い出しても背筋が凍る「ゾッと」
その感情を、物語にしませんか。
GLAMでは、あなたのリアルな体験エピソードを
お待ちしています。

GLAM Lifestyle Editorial
編集部
日々の暮らしや選択を通して生まれる気持ちの変化に目を向け、人生を自分らしく整えていくヒントを届ける編集部チームです。仕事や人間関係、暮らしの質、価値観の揺らぎ。さまざまなテーマを横断しながら、今の自分にとって心地よい選択とは何かを考え、無理のない距離感で情報を発信しています。ときには短編小説の力も借りながら、日常にそっと寄り添い、気持ちを軽くするようなライフスタイルコンテンツをお届けします。
Feature
特集記事


