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『伏見』はもともと「伏水」と書いた!豊臣秀吉の城下町と良質な地下水が生んだ、日本酒名産地の知られざる由来

『伏見』はもともと「伏水」と書いた!豊臣秀吉の城下町と良質な地下水が生んだ、日本酒名産地の知られざる由来
伏見はもともと伏水と書いた豊臣秀吉の城下町と良質な地下水が生んだ日本酒名産地の知られざる由来

伏見が日本酒の名産地になったのは、地下水と城下町の歴史があった

京都・伏見といえば、月桂冠や黄桜など誰もが知る酒蔵が並ぶ日本酒の名産地です。

なぜこの地に酒造りが集まったのか。伏見酒造組合と月桂冠の公式資料をのぞいてみると、豊臣秀吉が築いた城下町の歴史と、地下を流れる良質な水という二つの理由が見えてきました。

「伏見」の地名はもともと「伏水」と書いた

「伏見」という地名には、もともと「伏水」という表記も使われていました。

月桂冠の解説によると、江戸時代には「伏水」の表記も用いられ、1868年(慶応4年)には「伏水役所」と公的にも使われていたとされます。

1879年(明治12年)に「伏見」の表記に統一されましたが、地名そのものが古くからこの地に水が豊かだったことを示しているわけです。

伏見酒造組合によると、伏見の地下水は桃山丘陵をくぐった清冽な水が水脈となって地下に息づき、山麓近くで湧き水となってあらわれるもので、カリウム・カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水とされています。

豊臣秀吉の城下町として発展し、酒造業が興隆した

伏見で酒造りが本格的に盛んになったきっかけは、豊臣秀吉が1594年(文禄3年)に伏見城を造営したことでした。

月桂冠の解説によると、伏見城造営による都市としての発展とともに、水の豊かさを背景に酒造業が興隆し始めたとされます。

城下町・宿場町・港町として人々が集まり酒の需要が高まったことで、1657年(明暦3年)には酒造家83軒・造石量1万5千611石と国内有数の酒どころとなりました。

その後も発展を続け、1906年(明治39年)には伏見酒の製造量が旧京都市内の酒を上回り、灘に次ぐ二大酒どころへと成長しました。

御香宮神社の「御香水」と伏見の名水伝説

伏見の水の豊かさを象徴するのが、御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の「御香水」です。

伏見酒造組合によると、境内に香り高い清泉が湧き出したことが社名の由来とされ、現代でも「日本名水百選」のひとつに選ばれています。

伏見には「金名水」「銀名水」「白菊水」など多くの名水伝説が残っており、現在も20を超える蔵元がこの地下水を使って酒造りを続けています。

豊臣秀吉の城下町として栄え、良質な地下水に恵まれたこの地が、400年以上にわたって日本酒の名産地であり続けている理由がここにあります。

まとめ

「伏見」の地名はもともと「伏水」とも書かれたほど水が豊かな土地でした。

豊臣秀吉の伏見城造営による城下町の発展と、桃山丘陵から流れる良質な地下水という二つの条件が重なり、伏見は灘と並ぶ日本酒の二大産地へと成長したのです。

参考

・伏見酒造組合「伏見の水
・月桂冠「酒どころ支える「伏水」

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GLAM Entame Editorial

編集部

エンタメやカルチャーを入り口に、今を生きる大人の感性や知的好奇心を刺激する編集部チームです。話題のニュースやトレンド、SNSで広がるカルチャーから、思わず考えたくなる大人の常識クイズまで。楽しみながら学び、視野を広げられるコンテンツを通して、日常にちょっとした発見や会話のきっかけを届けています。ただ消費するだけのエンタメではなく、知ること・考えること・共有することを大切に。大人だからこそ楽しめるポップカルチャーを、発信しています。

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