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『松本城』の天守は外から見ると5階なのに内部は6階!明治に売却の危機を救った市民たちの奮闘と国宝指定までの歴史

400年以上前の天守がなぜ今も残るのか
長野県松本市にそびえる『松本城』は、姫路城・犬山城・彦根城・松江城とともに国宝に指定された5城のひとつ。
現存する五重六階の天守としては日本最古とされており、安土桃山時代から江戸時代初期に建てられた天守がそのまま残っています。
黒漆塗りの板張りと白漆喰(しっくい)のコントラストが美しく、北アルプスを背景にした景観は多くの人を魅了します。
しかしこの天守が現代まで残ったのは、決して偶然ではありません。
幾度もの破壊の危機を、市民の力が救い続けてきた歴史があります。
戦国から江戸へ、二段階で完成した天守群
松本城の前身は、1504年(永正元年)に小笠原(おがさわら)氏の一族が築いた「深志城(ふかしじょう)」といわれています。
1582年(天正10年)に小笠原氏が城を取り戻し「松本城」と改名。
天守は1593年(文禄2年)から石川康長(いしかわやすなが)によって築かれたとされます。
その後、1633〜1638年(寛永10〜15年)に松平直政(まつだいらなおまさ)が辰巳附櫓(たつみつけやぐら)と月見櫓(つきみやぐら)を増築。
戦国時代の緊張感漂う天守と、平和な江戸時代に生まれた優雅な月見櫓が共存する、松本城ならではの姿が生まれました。
外は5階、中は6階という巧みな造り
外から見ると五重(5階)に見える天守ですが、内部には屋根裏を利用した「中3階」があるため、実際は六階建て。
この「五重六階」の造りが、現存する天守としては日本最古とされています。
低湿地という地盤の弱さをカバーするため、石垣は勾配を緩くした「野面積(のづらづみ)」で築かれ、堀側の根石には沈下を防ぐ「筏地形(いかだぢぎょう)」という工夫も施されています。
壁面には矢狭間(やはざま)や鉄砲狭間が並び、実戦を想定した造りが随所に残っています。
235両で売られた天守を市民が救い出した
明治維新後、松本城の天守は235両125文で個人に売却されてしまいます。
これを知った地元の副戸長・市川量造(いちかわりょうぞう)は買い戻しに奔走。
東京・大阪へ募金を呼びかけ、天守を会場にした博覧会の観覧料を資金に充て、買い戻しに成功したとされています。
その後も明治後期に小林有也(こばやしありや)が「松本天守閣保存会」を設立して修繕工事を実施。
昭和25年(1950年)には文部省直轄の国宝保存事業第1号として大規模な解体修理が行われ、現在の姿が整いました。
まとめ
『松本城』は市民の力が何度も救い続けてきた、現存最古の五重六階の天守。
その歴史を知ると、黒と白の美しい姿がより深く刻まれます。
参考

GLAM Entame Editorial
編集部
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