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14歳で単身上京、パニック障害、恩師の急逝を乗り越えて。メジャーリーガーを支えるメンタルトレーナー・兼下真由子が体現する「全部できる」
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GLAMでは、さまざまな分野で自分らしく活躍する女性たちにフォーカスし、その人生や価値観に迫るインタビュー企画をお届けしています。
今回お話を伺ったのは、メンタルトレーナーの兼下真由子さん。子役として早くから芸能活動をスタートさせ、紆余曲折を経て事業家に転身。独自の瞑想メソッドを考案し、現在はメジャーリーガーなどのトップアスリートや経営者などをサポートしています。
「全部できる」を合言葉に、メンタルトレーニングのセッションや後進育成といった仕事はもちろん、家事や子育てなどあらゆることに全力投球。分娩台でも仕事をし、産後もほとんど休まずに日常生活に戻ったといいます。
なぜそんなに命を削るように生きるのか、そのエネルギーの源は何なのか。そうした疑問が解消される、波乱万丈な半生に圧倒されるインタビューとなりました。「人生最大の苦しみだった」という挫折、影響を受けた人々との出会いや別れ、自身の生き方にもかかわる事業への想いなど、たっぷり語っていただきました。

8歳の原体験が原点に。14歳で単身上京
被爆者の涙が、歌手を目指すきっかけに

小さい頃から歌うことが大好きだった兼下さん。地元の広島県で、小学生の頃からミュージカルなどに出ていました。中でも印象に残っているのが、老人ホームで歌を歌ったときのことだといいます。
「8歳のとき、広島の子ども代表として被爆者が入居する老人ホームに慰問に行き、1人ステージに立って『ひろしま平和の歌』を歌ったんです。すると私の歌を聴いた90歳ぐらいのおじいちゃんが、涙を流しながら私の手を握ってありがとう、ありがとうって言ってくださったんです。歌ってこんなに人を感動させられるんだ!と思って歌手を目指し、14歳で単身上京しました」
親を説得して叶えた単身上京
「よくご両親が許しましたね」と驚く私に、兼下さんは「許したというより、あきらめたと言った方が正しいですね。押し切りました」と笑います。当時は広島県のあらゆるオーディションを受け、全部受かって主役を演じ、県内ではやり切った感じだったそう。子どもの頃から強い意志と行動力を持っていたことがわかりますね。
「6年生のときにはハワイのイベントに1人で行きましたし、小学校高学年のときから両親にお願いしていました。両親は共働きで、まだ小さな弟も妹もいましたし、何を言っても私があきらめないので根負けして。それで東京の中学校に転校し、放課後はミュージカルの養成所に通って毎日9時間くらい歌とダンスのレッスンをしていました。最初は養成所の寮で暮らし、3年生からは一人暮らし。食事も自分で作り、学校の三者面談にも一人で対応していました。ミュージカル公演の全国ツアーもあって学校にはあまり通えませんでしたが、好きなことに打ち込んで充実していましたね」
デビュー後にパニック障害となり、第一線を退く
20歳で訪れた突然のメジャーデビュー

高校進学後もメジャーデビューをめざして地道に路上ライブなどを続け、19歳のときに日テレのオーディション番組で勝ち上がって吉本興業に所属し、20歳でメジャーデビューしました。
「大手事務所に入ったので、すぐにCDを出したり、冠番組を持たせてもらったり、私が歌う番組のエンディング曲に9社ぐらいタイアップが付いたりしました。今考えると贅沢な悩みですが、いきなり恵まれた環境になったことでプレッシャーに苦しむようになったんです」
プレッシャーが心と身体を追い詰めた
カメラの前に立つとめまいがするなど自分で自分をコントロールできなくなり、パニック障害と診断されました。しっかり者とはいえ、まだ20歳。兼下さんの責任感の強さがこのときはマイナスに働いてしまったのでしょう。「単に私が幼くて弱かっただけ。今なら何でもないこと」という言葉に悔しさがにじみます。
「大好きだった歌までが苦痛になり、本当に辛かったです」と兼下さんは当時を振り返ります。そのうち電車に乗ると息が苦しくなるなど日常生活にも支障が出るようになり、契約を更新せずに事務所を離れました。
芸能活動を引退してベンチャー企業の社員に
ヨガとの出会いが人生を救った

夢を追いかけて中学生で親元を離れ、努力の末にようやく手に入れたチャンスをものにできなかった辛さは計り知れません。そんな大きな挫折から、一体どうやって立ち直ったのでしょうか。
「パニック障害になったとき、通っていたジムのヨガレッスンを何の気なしに受けたらすごく落ち着いたんです。ヨガは心を整えてくれるものなんだと思って続けていて、それが大きな助けになりました」
自分のペースで芸能活動を続ける中、兼下さんはヘルスケア業界に転職して自分のような辛い思いをした人を救いたいと考えるようになります。資格を取ってヨガ講師の仕事も始めましたが両立は難しく、苦しい日々が続きました。
30歳を前に感じた焦り
「人を助けるどころか自分の人生もままならず、30歳という年齢が近づくにつれて焦りが生まれ始めました。周りには家庭を築いている人、出産している人もいるのに、私は中途半端なままでいいのかな、と」
兼下さんは、悩んだ末に幼少期から続けてきた芸能活動をやめることを決断。心機一転、渡米してヨガの国際資格を取り、帰国してヨガスタジオをオープンさせました。しかし直後に、芸能活動の経験とヨガの知見を見込まれて知人にヘッドハントされます。最初は断っていましたが、興味のあるヘルスケア分野の事業で、熱心に誘われたこともあり、会社は共同経営者に任せてヘルスケアアプリの開発会社に入社することに。
初めて経験した会社員生活
「通勤も初めてでしたし、パソコンに触ったこともなく、初めて経験する会社員生活は何もかもが新鮮でした。英語が飛び交う新進気鋭のベンチャー企業で、経営やマーケティング、コンテンツ制作の基本など多くを学びました。30歳まで芸能界しか知らなかった私が会社を経営できているのは、必死に働いたあの3年間のおかげです」
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