Share
江戸から京都までおよそ500kmを「最速3日半」で駆け抜けた!あの『飛脚』が人力リレーだけで生んだ驚異のスピードと知恵の真相

江戸から京都まで、飛脚は最速で3日半ほどだった
電気もエンジンもなかった江戸時代に、江戸〜京都間の書状が最速3日半ほどで届いていたと聞くと、少し意外に感じる人も多いかもしれません。
距離はおよそ500km、それを人の足だけで運んでいたわけです。
コトバンクの「継飛脚」の解説をのぞいてみると、リレーで距離をつないでいく仕組みの巧みさが見えてきました。
江戸〜京都を結んだ「継飛脚」
江戸と京都を急ぎの公用便として結んだのが「継飛脚(つぎびきゃく)」です。
コトバンクの解説によれば、元禄9年(1696年)の定めで江戸〜京都を急行で41時(およそ82時間)、普通で45時(およそ90時間)で走らせたとされます。
日数にすると、急ぎで3日強、普通でも4日弱。東海道のおよそ500kmを、人の足だけでこの速さでつないだのです。
仕組みのカギは「宿駅リレー」
速さの秘密は、ひとりで走り通すのではなく、宿駅(街道沿いの中継地)ごとに走者を交代するリレー方式にありました。
東海道には京都までに53の宿場が並び、各宿駅には伝馬(公用に使う馬)と人足が常備されていたと解説されています。
継飛脚は御状箱(公用の書状を入れた箱)をかつぐ人足と交代要員の2人で勤め、宿場ごとに次の走者へ受け渡していきました。
短い区間を全力で駆け抜けるから、人ひとりの体力では届かない速さが生まれたわけです。
公用・武家・庶民で分かれた飛脚
飛脚は用途ごとに種類が分かれていました。
コトバンク「飛脚」の解説によると、幕府公用が継飛脚、諸藩のものが大名飛脚、民間営業のものが町飛脚と呼ばれます。
もともと幕府の公用飛脚として月に三往復していたことに由来する『三度飛脚』の名は、やがて民間の定期町飛脚を指す言葉としても使われるようになりました。
庶民の手紙を支えたこの仕組みは、明治4年(1871年)に郵便制度が始まったことで役目を終えています。
まとめ
江戸〜京都およそ500kmを最速3日半ほどでつないだ飛脚。
その速さを支えていたのは、ひとりの脚力ではなく、宿場ごとに走者をつなぐリレーの仕組みでした。
スマホで一瞬で届くメッセージが当たり前になった今でも、街道を駆け抜けた人たちの工夫の積み重ねが郵便の出発点になっているというわけです。
参考

GLAM Entame Editorial
編集部
エンタメやカルチャーを入り口に、今を生きる大人の感性や知的好奇心を刺激する編集部チームです。話題のニュースやトレンド、SNSで広がるカルチャーから、思わず考えたくなる大人の常識クイズまで。楽しみながら学び、視野を広げられるコンテンツを通して、日常にちょっとした発見や会話のきっかけを届けています。ただ消費するだけのエンタメではなく、知ること・考えること・共有することを大切に。大人だからこそ楽しめるポップカルチャーを、発信しています。
Feature
特集記事

