15.06.09(Tue)

まるで映画の世界。芸術家、著名人の愛したクラシックカフェ3選

藤井麻未

藤井麻未 個性派トラベルライター/元海外旅行添乗員

秘境系旅行会社元添乗員。テーマ性のある個性派旅を得意とする。旅ブログキュレーションメディア、TABIZINE公式ブロガー。海外に日本を発信するメディア、Japan Infoライター。

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石畳を馬車が駆けてゆく。華やいだ街角にはいつものカフェがあり、紳士たちは政治談議に余念がない。着飾った貴婦人たちは最近流行りの文庫本を片手にテラスに席をとるのがステイタスだ。じきに訪れた世紀末の退廃的な空気はカフェにも陰を落とし、扉を開けると男達がくゆらす煙草の煙に少し咳き込む。

 

華麗なるヨーロッパ、そして世紀末のデカダンス(退廃)の中で常に歴史の舞台となり続けてきた数々の老舗カフェ。時代を代表する芸術家や文豪、著名人たちは決まってカフェに集い、そこから優れた文化を生み出した。その空間に身を置いているだけで、まるで時計の針が巻き戻り古い映画の中に生きているような気になる。今回は、ヨーロッパの歴史を生き抜いてきた老舗のカフェの中から選りすぐりの3つをご紹介しよう。

 

1.カフェ・フローリアン ベネチア

 

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時は1720年、敵国トルコからコーヒーが伝わりカフェブームが起ころうとしていた頃。人々で賑わうヴェネチア、サンマルコ広場の新行政館前に忙しくコーヒーハウスの開店準備をする男がいた。

 

男の名はフロリアーノ・フランチェスコーニ。愛国心溢れるヴェネチア男児である。カフェの名は「ヴェネチア・トリオンフォンテ」、“勝ち誇るベネチア”という意味だ。トルコとの闘いに苦戦していたヴェネチア。かつての栄華を取り戻して欲しいと、彼はカフェの名に希望を託したのだった。これが、ヴェネチア最古の「カフェ・フローリアン」の始まりであった。トリオンフォンテは瞬く間に男たちの溜まり場となり、彼のゲーテもイタリア滞在中にここを訪れたという。

 

ところがヴェネチアは残念ながら1773年ナポレオンに占領されてしまう。そして、カフェの名も「カフェ・フローリアン」と改名することになったのだった。かつて海上貿易で巨万の富を築いた大国ヴェネチア共和国は消滅してしまった。しかし、カフェ・フローリアンはその後もフランチェスコーニの意思を継ぎ、ヴェネチア最古のカフェとして営業し続けた。そして1850年にはヴェネチア最高の芸術家、職人たちによってかつてないほどの華やかな内装へと変化を遂げ、ヴェネチア随一の人気カフェの地位を揺るぎないものにしたのであった。

 

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天才音楽家、ワーグナーが毎日朝食をとりに来たことでも有名だ。私たちは、今でもこのフローリアンで、カフェがヴェネチアと共に歩んできた激動の歴史に思いを馳せながら、一杯のコーヒーを楽しむことができる。

 

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2.カフェ・ジェルボー ブダペスト

 

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1858年、ハンガリー、ブダペスト。19世紀に入り、ハンガリーでもカフェ文化が花開いていた頃、名実共にハンガリー随一の知名度を誇ってきたカフェ・ジェルボーはブダペストの街に華々しく誕生した。

 

ロココ調の天井には豪奢なシャンデリア、優美な内装に重厚なカウンター。ベルベットのたっぷりしたカーテンがかかるガラス窓から覗くカフェの世界は、リキュール、ボンボン、チョコレートに濃厚なコーヒーが並び、エレガントな喧騒に包まれている。ここは馬車で乗り付ける紳士淑女たちの格好の社交場となった。

 

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ジェルボーを訪れた客の中で忘れてはならないのが、ハプスブルク帝国皇妃、エリザベート・シシィである。彼女は1837年、ドイツバイエルンの公女として生まれ、のびのびと自然の中で育てられた。しかし、15歳にしてオーストリア皇帝、ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフに見初められてから彼女の人生は大きく変わってゆくのである。

 

自由を愛したシシィにとって、ハプスブルク家の宮廷作法や、おびただしい儀礼の数々は過重なストレスであった。加えて、皇帝の母であり姑であるゾフィとの確執も彼女を疲弊させる原因だった。生まれた子供たちも彼女の元から引き離され、次第に精神を病んでいったのである。そんな中で、唯一彼女に安らぎを与えてくれたのが故郷バイエルンにも似た牧歌的な風景や豊かな自然をもつハンガリーの歴史や文化を学ぶこと。オーストリア・ハンガリー二重帝国が築かれてからは、シシィは頻繁にハンガリーを訪れ、そしてお忍びで通ったのがここカフェ・ジェルボーであった。

 

絶世の美女といわれたシシィの美しさは、さぞかしこの豪華なカフェに映えたことであろう。シシィも一杯のコーヒーを飲む間は煩わしい宮廷での生活を忘れ自由の身になれたのであろうか。そんなことを考えながら、ジェルボーでの時を過ごしてみたい。

 

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3.カフェ・ツェントラル

 

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ウィーンは今でも街のあらゆるところにカフェがあり、常連客は何時間でもカフェに居座り新聞を読んでいる。カフェ大国ウィーンの街にツェントラルが出来たのは1876年、19世紀も後半に差し掛かる頃だった。

 

じきに訪れた世紀末は、ハプスブルク帝国崩壊の足音を感じさせるものであった。帝国の政治面における混乱、凋落により人々の関心は次第に政治から離れてゆく。しかし、それは同時に時代の転換を顕著に表す斬新な文化を生み出した。人々の心が政治から文化へと移り変わった結果である。一般的に「世紀末」というと19世紀末のことを現すのは、この時代に世紀末独特の厭世主義や刹那的享楽主義をテーマとした退廃的な芸術、文化が数多く生み出されたからなのである。

 

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フランスに端を発する世紀末思潮だが、とりわけウィーンの地では美術、文学、音楽、建築など様々なジャンルの新しい文化が花開いた。それに一役を買ったのが街に点在するカフェであったのだ。人々は過酷な日常生活から逃避するためにカフェに向かい、そこで芸術の話をするのが日課となっていた。ツェントラルもその例外ではなく、ウィーンを代表する世紀末画家、クリムトや同じく世紀末のカフェ文士といわれたウィーンの作家ピーター・アルテンベルクはここの常連だった。高い天井に優美な内装、座り心地の良いソファー。そしてとりわけケーキが美味しくツェントラルは居心地の良いカフェだ。世紀末ウィーンに思いを馳せながら、常連に交じって少し長居してみるのも良いかもしれない。

 

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