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「それ、私がやる前提だよね?」自称・家事メンの夫が放つ「やってあげる」にモヤモヤが止まらない

「それ、私がやる前提だよね?」自称・家事メンの夫が放つ「やってあげる」にモヤモヤが止まらない
「気づいた方がやる」という約束の行方
共働きの私たち夫婦は、子どもを授かった折にひとつの約束を交わしました。
「お互いフルタイムなんだし、その時家にいる方が家事も育児もこなそう」
「大賛成。気づいた方がサクッとやればいいだけの話だよね」
あの時の頼もしい言葉は、都合の良い幻だったのでしょうか。近頃、夫の言動の端々に見え隠れする「手伝ってやってるオーラ」のせいで、私の胸の内には澱のような不満が蓄積しています。
ある休日の午前中。山積みの洗濯物と格闘する私の背中に、遅れて起きてきた夫の声がのんびりと響きました。
「ふぁあ、おはよう。ん? シンクの食器、昨日のままになってるけど」
「あ、ごめん。子どもを寝かしつけながら一緒に落ちちゃって。干し終わったら片付けるよ」
「ふーん。それじゃ、俺が片付けておいてあげようか?」
『おいてあげようか』。その棘のような響きに、私の手はピタリと止まりました。
しばらくして、水仕事を終えた夫がドヤ顔でリビングに現れます。
「シンク周りまで完璧に磨き上げといたぞ! ついでに水滴も拭き取ってあるから」
「……ありがとう、助かるよ」
「溜まってるゴミも、俺が後で集めて出しに行ってやろうか?」
家事をしてくれること自体はありがたいのです。しかし、全身からあふれ出る「やってやった」という過剰なアピールが、私から素直な感謝を奪い去っていきます。
当番制ではなく「気づいた方がやる」というフラットなルールだったはずなのに、夫の振る舞いは「妻の担当業務を、心優しい俺が特別に代行してあげた」というメッセージそのものなのです。
「現代的な夫」の化けの皮
また別の日の夜。ニュース番組で「男性の育休取得率向上」の特集が組まれていると、画面を見つめながら夫は雄弁に語り出しました。
「今の時代、男が育児に参加するのは当たり前だよな。うちの部署でも育休取る後輩がいてさ」
「そうだね、いい時代になってきたよね」
「まあ俺自身、休みの日はおむつも替えるし、お風呂の世話もしてるわけだし。世間のパパたちの中では、かなり優秀な部類じゃないか?」
さも自分は現代的な夫だと言わんばかりの態度ですが、私の目には違って映ります。
(表面上は理解あるフリをしてるけど、根本では『基本は妻の役割』って信じて疑ってないよね?)
そんな捻くれた見方をしてしまうのは、平日の夜の光景が頭をよぎるからです。
私が残業明けで慌てて帰宅し、キッチンで夕飯の準備に追われている時のこと。ソファに寝そべってスマホのゲームに熱中する夫は、悪気もなくこう言い放つのです。
「ねえ、腹ペコなんだけど。ご飯まであとどのくらい?」
「ごめん、急いでるんだけど……手が離せないから、子どものパジャマの準備してくれないかな?」
「ええー? 今ちょうどイベント中なんだよね。……まあいいや、俺が着替えさせてあげるよ」
結局のところ、夫の意識の奥底には「家事と育児の主体はあくまで妻」という価値観がこびりついているのでしょう。
「手伝ってやっている」というお客様気分のままでは、私の心に居座るこの暗い雲が消え去ることはないでしょう。今日もまた、小さくため息をこぼしながら、私はまな板に向かっています。
※GLAMが独自に実施したアンケートで集めた、30代・女性読者様の体験談をもとに記事化しています
※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

GLAM Lifestyle Editorial
編集部
日々の暮らしや選択を通して生まれる気持ちの変化に目を向け、人生を自分らしく整えていくヒントを届ける編集部チームです。仕事や人間関係、暮らしの質、価値観の揺らぎ。さまざまなテーマを横断しながら、今の自分にとって心地よい選択とは何かを考え、無理のない距離感で情報を発信しています。ときには短編小説の力も借りながら、日常にそっと寄り添い、気持ちを軽くするようなライフスタイルコンテンツをお届けします。
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