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「この前は運転ありがとう!」と友人からの連絡。だが、続く一文で友情が崩壊しかけた【短編小説】

この前は運転ありがとうと友人からの連絡だが続く一文で友情が崩壊しかけた短編小説

本記事はフィクションです。物語の登場人物、団体、名称、および事件はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。

友人からのお礼のメッセージ

「この前は運転ありがとう!週末のドライブ、楽しかったね!」 そんなメッセージがスマホに届いた時、私はまだ楽しかった時間の余韻に浸っていました。

私の車を出し、往復4時間の道のりをひとりで運転して、山奥のカフェまで足を伸ばしたあの日。

友人との会話も弾み、最高の休日だったはずでした。しかし、その後に続いた一文を見て、私の指は凍りつきました。

「あ、ガソリン代と高速代のことだけど。私がずっと助手席で地図を見て案内したから、今回は0円でいいよね?」

一瞬、自分の目を疑いました。

確かに、彼女は助手席でスマートフォンを使い、ナビゲーションの補助をしてくれました。

でも、それは今の時代、誰にでもできることです。

一方で私は、慣れない山道を神経を研ぎ澄ませて運転し、ガソリンも事前に満タンにして準備していました。

目的地に着くまでの間、彼女が隣でうたた寝をしている間も、私は安全に配慮してハンドルを握り続けていたのです。

「えっ、ガソリン代も結構かかったから、少しは負担してほしいな……」

勇気を出してそう返信すると、すぐに納得のいかない返事が返ってきました。

埋められない価値観の溝

「でも私、ずっと画面を見てて目が疲れたよ? ガイド料だと思えば安いじゃない。運転手は道がわかって楽だったでしょ?」

彼女にとって「案内」という行為は、実費を相殺するほどの重労働だったのでしょうか。

私にとっては、車を出し、運転するという負担を友人同士で分かち合うのは、ごく当たり前のマナーだと思っていました。

結局、その場は私が折れる形で終わりました。

でも、数千円という金額以上に、私の中に生まれたのは「彼女は私の労力をその程度にしか思っていないのか」という悲しみでした。

車を持っている側が「出すのが当たり前」だと思われてしまう切なさ。そして、自分のしたことを過大評価し、相手の負担を軽視する姿勢。

「またドライブ行こうね!」という彼女の言葉に、私は既読をつけたまま、どうしても返信することができませんでした。

大好きな友人だったはずなのに。ガソリン代という目に見える数字よりも、「思いやり」という目に見えないガソリンが切れてしまった、そんな苦い結末でした。

※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。
※本コンテンツのテキストの一部は、生成AIを利用して制作しています。

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