GLAM Editorial

【女の履歴書】Vol.9 映画監督兼ファッションブランドPR穐山茉由「仕事と映画作りの両立に大切なのは“バランス感覚”」

穐山茉由・映画監督兼ファッションブランドPR

1982年生まれ。ファッション業界で会社員として働きながら、30代はやりたいことをやろうと思い立ち、映画美学校で映画製作を学ぶ。監督作『ギャルソンヌ-2つの性を持つ女-』が第11回田辺・弁慶映画祭2017入選。長編デビュー作『月極オトコトモダチ』が第31回東京国際映画祭 日本映画スプラッシュ部門 正式出品作品となり話題を集める。

映画制作を本気で学び始めたのは30歳
「結果もちゃんと残したい」と思っていました

Q.ファッション業界のPRを目指したきっかけはどんなものでしたか?

ずっとファッションがやりたくて、学生の頃から服飾を専攻していました。モノ作りがしたくてOEMの会社に入ったのですが、あまりの激務に半年で辞めちゃいました。次、何をしようかと考えていたときに、やりたいことは服を作ることじゃない気がしたんです。ファッションも含めたカルチャーが好きで、雑誌を読むのも好き。それなら雑誌に関われるファッション関連の仕事だなと、たまたま知り合いにPRの仕事をしている人がいたので、話を聞いてみたところ、興味を持つことができました。23~24歳の頃ですね。

Q.どのタイミングで映画を撮ろうと思ったのでしょうか?

映画を観るのは好きでしたが、自分が撮るなんて考えたこともありませんでした。実際に撮ることを意識したのは、20代半ばで観た井口奈己監督の『人のセックスを笑うな』でした。すごく身近で、私がやりたいことが詰まっていると感じました。日本人の女性監督でもこういう作品が撮れると思ったら、刺激を受けちゃって「私もこういう世界を作りたい」と思ってしまいました。ちょっと気になる映画だと思って観たのですが、その世界に引き込まれましたね。

Q.作りたい! と思っても、映画はそう簡単には作れないですよね。穐山さんが次に取った行動は?

PRの仕事をしていたので、映画を作る人は周りにいないし、話を聞ける人もいない。とりあえずいろいろ検索して、初心者向けのワークショップに参加しました。そこでシナリオの書き方も初めて知って。脚本なんて読んだこともなかったし、見よう見まねでした。プレゼンした企画が通り、10人くらいの参加者の中から監督に選ばれて、短編を撮影しました。失恋した男女の物語だったのですが、初めて作品を撮って感じたことは「自分が観ている映画と全然違う」ということでした。と同時に、映画作りは難しいって思いましたね。

Q.一番難しいと感じたのは?

すべてです(笑)演出のことも何もわからずに、ただ撮りたい画、ストーリーを形にしたという感じです。それでも「形になった」という満足感はありました。でも、「もう少しちゃんとやりたい!」と映画作りにより興味を持ち始めてしまいました。

Q.本格的に映画作りに興味を持ち始め、何をしたのでしょう?

すぐには映画作りに向かいませんでした。実は結婚しようと考えていて。相手の方が割と亭主関白系で、結婚したら家庭に入って欲しいタイプでした。映画は作りたいけれど、それを仕事として本気でやろうという気持ちもなく、趣味程度でいいかなと思っていましたから。

ちょうどその頃、新しいブランドの立ち上げ時期でPRの仕事もとても忙しくなりました。忙しい中で仕事の楽しさも感じていて、ふと冷静に考えてみました。「私のやりたいことはなんだろう」って。社会の中での自分のポジション、やりたいことを見つけることの楽しさを捨ててまで、家に入ることが私にできるのだろうか、と。無理だ、できないって思ったら、結婚をやめていました。その反動で、自分のやりたいことは自分で選べるという事がストンと腹に落ちてきて、今一番やりたいことをやろうという勢いのままに映画美学校に入学しました。最初の映画作りから2~3年後、30歳の頃でした。


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