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無口な父が作った『海苔文字』弁当。→20年越しに知った父の愛に、涙が止まらない【短編小説】

「美咲、今日も一日頑張れよ」
無口な父が、唯一私に話しかけてくれるのは、毎朝、学校に行く前のことだった。
そして、父が持たせてくれたお弁当の蓋を開けると、いつもご飯の上に海苔で文字が書かれていた。
ある日は「がんばれ」、またある日は「スマイル」。小学生だった私は、その“海苔文字弁当”が恥ずかしくてたまらなかった。
「友達に見られたらどうしよう」と、いつも蓋を開けるのが嫌だった。
成長するにつれて、私は次第に父を避けるようになった。
思春期になり、反抗期を迎え、父とはほとんど口をきかなくなった。
お弁当も自分で作るようになり、海苔文字弁当はいつの間にか食卓から姿を消した。
あの頃は、父の愛情を素直に受け止められなかった。それが、20年経った今でも、私の心に深く刺さっている。
言葉の代わりに伝えてくれた、父の愛情
大人になった私は、結婚して実家を出た。
母から「お父さん、最近寂しそうだね」と言われても、仕事が忙しいことを理由に、なかなか実家に帰ることはできなかった。
そんなある日、母から「お父さんが入院することになったの」と電話がかかってきた。私は慌てて実家に帰った。
久しぶりに帰った実家で、母と昔の写真を見返していると、母は一枚の古い写真を取り出した。
それは、幼い私が海苔文字弁当を手に、少し不機嫌そうな顔で写っている写真だった。
「お父さん、美咲のために毎日夜遅くまで起きて、海苔の切り抜き練習してたんだよ」と、母は微笑んだ。
20年越しに知った、海苔文字に隠された真実
母は続けて言った。
「お父さんは不器用だから、美咲に言葉で愛情を伝えるのが苦手でね。だから、お弁当で気持ちを伝えようとしてたんだよ」。
そう言って、母はそっと一枚の手紙を私に手渡した。
そこには、父の不器用な文字で、海苔で書く文字の練習がびっしりと書かれていた。
「がんばれ」「スマイル」「いつもありがとう」。
それは、私が昔、お弁当に書かれていた言葉だった。2
0年越しに知った父の愛に、私は声を上げて泣いた。
あの頃、私が恥ずかしがっていたお弁当は、父の不器用ながらも精一杯の愛情表現だったのだ。
私は、すぐに病院にいる父の元へ向かった。そして、父の手を握り、「お父さん、ありがとう」と、涙ながらに伝えた。
本記事はフィクションです。物語の登場人物、団体、名称、および事件はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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