17.05.21(Sun)

【女子のケモノ道】vol.03 花の名は

宮坂 淑子

宮坂 淑子 DiFa 編集長

1974年生まれ。デジタルとファッションを繋ぐウェブサイト「DiFa」編集長(https://www.difa.me)フリーランスライター、ロッキングオ...

 いつからだろうか。コーヒーを一杯買う余裕があるならば、その分を花代に廻したいなと思うようになったのは。

 昔、どこかでも書いたのだけれど、私の父は元盆栽家ということもあって、かつて家の庭は松だの皐月だのつつじだの盆栽だので溢れ返って緑にむせそうだった。そして母は今でいうなら、いわゆるGREEN THUMBというヤツで、家に帰ると常に庭いじりをして、毎日花を咲かせることに喜びを見出しているいる不思議な主婦だった。というか、花いじりをしている姿だけしか記憶にないくらいだ。そして今なお、父と母の会話の殆どが今日はあれが咲いた、週末はあの木をどこに動かそうなんて植物のお世話の話が殆どだ。なのだ。けれど。そんな夫婦の娘である私は40を迎える頃まで一切植物のお世話になんて興味が沸かず、たまにいただくブーケや花や観葉植物に喜ぶ程度で、常にファッションだの、仕事だの、恋愛だのにうつつを抜かしていたのだった。

 しかし、気づくと、一生懸命花だの緑だのに目をやる自分を見つけてしまった。そして、昔から母が口にしていた花の名前を頭のどこかで記憶していたらしく、「あ、今日は何々がが咲いてる」「あ、この緑は何々だ」なんて呟くようになった。そして、呟きながら、もういちど愛でてみると、ふっと肩の荷が降りるような安堵を覚えた。

 というわけで、ここ数年は旬の花々を家に生けることが楽しみになった。植物の生命力というか持つ力というものは偉大で、本当にそこに一輪あるだけで、なんというか、そこはかとないエネルギーを放っている。けれど、まだまだ「人生はビギナーズ」(どうぞご覧ください。いい映画です)な自分に膨大な花の種類なんて覚えられるわけもなく、ちょっとづつちょっとづつその知らない花の名前を調べては覚えているが、まだまだプロ(?)への道のりは遠い。けれど、それもまたひとつの人生の楽しみだなあと思っている。

 そして花と向き合っているうちに、ずっとコンプレックスだったことがどうでも良くなった。というのは元来、友達が少ない私なのだけれど、最近ではそんなことも気にならなくなったのだ。というのは、「あの人もこの人も知り合い!」「友達100人いるよ!」という人も素敵だけれど、個人的には「あの花の名前は…」とたくさん花の名を言えるような人の方が私はもっとずっと素敵だと思うようになったからだ。

 さて、そうなるまでにどのくらいかかるのか。買ってきたばかりの芍薬を眺めながら考えている。

雨の匂いと共にやってくる芍薬のシーズン。毎週どの色を買おうか迷いながら花屋へと足を運ぶ。可憐でいて、ちょっと健気(?)な感じが好き。あとクラっとくるくらいのいい匂いもね!